果たして、今の障がい者に対する対応は正しいのだろうか。今では、様々な場所にバリアフリーな建物であったり、障がい者に対して配慮されたものが増えてきていたりする。一昔前の映画では、精神的に障がいを持っている人の診療所では建物の窓やベットの部屋に鍵がかけられていたり、受診している患者が精神的に安定しておらず暴れているときには暴力で抑えていたりしている場面があった。規則を破ったときには、患者に精神的に苦痛を与え自殺にまで追い込むシーンがあった。この映画のような診療所の実態を見て、障がいを持った人たちはもっとのびのびと生きていくべきであると感じた。主人公は実際に障がいを持たない人であるが、障がいという壁を越えて周りの患者と一緒にTVやバスケといったことを楽しんでいたが、それこそが治療のひとつであると考える。
今でも世間では障がい者は普通の人とは違うのだと考えられており、線引きされているように感じる。教育の中でもその線引きがあることに気づかされた。今まで特別クラスや特別支援学校というのは障がいを持った人たちにとって居場所であると思っていた。しかし、その居場所と思っていた場所が他の人たちと線引きしてしまうことになり、関係をなくしてしまっていたのだと気づかされる。特別支援教育を受けていた方にお話を聞くと、みんなと同じようにクラスで授業を受けたかったという。毎日先生とマンツーマンだと緊張してしまい苦痛であったが、そのことを学校に話せる状況ではなかったと話す。その方が、自ら行きたいと言い出したのではなく、親が決定したことで従うしかなかったそう。自分がその状況になったと置き換えて考えてみるとその状況が嫌であることはすぐわかる。誰でもみんなと同じ教室で同じ授業を受けて一緒に給食を食べたいはずだ。教師として、特別クラスに送ることは簡単である。しかし、本当にやらなければならないことは、いかに障がいを持った生徒が学校生活を送りやすくなるのかを考えることではないだろうか。障がいを持った生徒が学校に行きたくなくなる根本を考えてみるとそれは、クラスの雰囲気に要因があると考える。クラス全体が他者を認め合えるような空間になれば、そこがみんなの居場所になるのではないだろうか。また、私が教師になったときには、障がいを持った生徒に限らず生徒との関りを大切にしたいと思う。子どもたちとの会話を通してコミュニケーションを取ることで少しでもその子の心のよりどころとなりたい。障がいを持った人の多くは、その人の考えは他と違うものだと否定され自分の意見や考えを心の中に押さえ込んでいるように思う。一緒にお話を聞いて、共感を大切にすることで打ち解けて完全に心の壁をなくすことができると思う。
障がいを持っていようが持っていまいが、それぞれ1人の人間である。老若男女すべての人が暮らしやすい世の中になるために出来ることはきっとあるはずである。困っている人がいたら周りの人たちが助けてあげられるような思いやりのあふれる世の中にしたい。