差別やおれんじ村での経験をお聞きして

まず、双子の妹がおられ、地域の学校に友達がいなかったためほしかったとのお話を伺いました。小中の9年間は普通学校で、高校は養護学校で親元を離れたとの事でした。寄宿舎にテレビがなかったため、親に録画してもらい、休暇中に帰省して見ていたとのことで、私も家にテレビがないということでTVerを見ているという共通点を見つけました。私はスマホで見ていますがパソコンで見ておられ、コマーシャルが無いのがいいという話をしました。そこから、パソコンでYoutube(F1やJ1)を見て予想するのが面白いという話を楽しそうに話してくださいました。

オレンジ村は以前はグリーンコープ長嶺の横にあり、そこで数十名と働いていたが販売の売上が8年ほど厳しく、振替休日もなかったと伺いました。今の人はわからないとのこで、話し方から大変な苦労をなされたのだと理解しました。

「あなたが障害者になったらどうする?」という質問を毎回しておられるとのことで、私は、「周りに力になってもらいたいが、助けを求めるのには勇気がいると思う。」とお答えすると「最初は勇気がいる」とのことでした。また、特に最初は勇気がいるが「今も」とのことで、子どもの頃に差別はいけないと教わるが差別はなくならないと真剣な表情でお話しくださいました。インクルーシブ教育について、パソコンで仕事をしておられるとのことで、オンラインチャットで質問を出したり答えたりしているとの事でした。内容については、具体的にどのようなことをされていますかとお聞きしましたが、「難しい」「色々」とのことで、詳しくお聞きしたかったなという思いがあります。この点で、五十音表を使ってコミュニケーションがとれるとはいえ、詳しい話のやり取りする難しさを感じました。インクルーシブについて、私も摂食嚥下困難者の方もそうでない人も一緒に食べられるお菓子作りの教室に行きましたというお話をすると、「いいね」「それもインクルーシブ」とおっしゃってくださいました。「伝えたいことは、いろいろな出会いを大切に」との事で、教員という職業についたら一人一人との出会いを大切にし、向き合える教員になりたいと思います。新人の先生が好きだったが告白する前に転勤してしまった、今でも覚えていると冗談っぽく話してくださり、教員に必要なものは「笑顔」とのことでした。生徒に対して時に厳しく、時に優しく接し、生徒が成長しても覚えてくれているような教員を目指したいです。

 

わかな