『これからの区別しない教育の在り方』

おれんじ村での実習期間中に、私は車いすで生活をされているやっさんのお話を聞いた。やっさんは、松橋養護学校をご卒業された後、3年前までおれんじ村で勤務され、現在はご自宅でパソコンを用いたお仕事をされている傍らで、時々おれんじ村でご自身の経験や思いをかたってくださっているそうだ。やっさんが養護学校に通われていたとき、授業はやっさんと先生の『マンツーマン』で行われていたという。やっさんにとって、これは非常にストレスだったそうだ。やっさんは、地域の学校で生活する事を望んでいたが、かなわず松橋養護学校に行くことになったという。日本では、障がいのある人もない人も同じ学校で教育を受ける、もしくは特化した学校があったとしても自身の意思により選択できる自由がある場合が少ない。これは、世界的にみるとまれな状況であり、たびたび国連から勧告を受けている。このような事態にも関わらず、日本は『区別する教育』を続け、国連の勧告を無視する状況が続いているという。国連勧告を無視する日本は世界の教育界で孤立しているともいえるだろう。やっさんは自分と同じような思いをする人が一人でも少なくなればよいと考えらいる。このような問題がなかなか思うように解決されないことの背景には、日本の教員不足が関係しているのではないかとやっさんは話してくださった。教師が足りないことにより、一般教室に障がいのある方が入ってきたときにサポートすることができないのだ。やっさんのように、一般の学校で学びたいと望まれておられる方が一般の学校で学べる日が来るために、日本には解決しなければならない問題が山積している。初めに、現在の特別支援学校・特別支援学級そのものを見直することである。特別支援学級に通う生徒は、せっかく一般の学校に通学していたとしても、一般の学級に入ることはほとんどなく、特別支援学級の枠の中で過ごしていることが多い。特別支援学校についても同様の状態が続いている。さて、ここで私が多用している『一般の』という言葉であるが、そもそも『一般の学級』ということ自体が『特別な学級』があることを思い起こさせるわけで、そのように考えるのではなくすべての学級を同一に扱う事が大切だと思う。次に教師の数を増加させることである。もちろん、障がいのある方が特別支援学級ではない学級で学ぶ場合、相応の支援が必要になるであろう。それに対応することのできる教員を増加させなければならないと思う。

 障害のある人もない人も同時に教育を受けられるような社会になるために、変わることが求められている。私も教員となった際には、そのようなことを意識して仕事に取り組みたいと思う。

 

まもるん