「夏休みが寂しかった」

やっさんが、フィンガーボードを使って伝えてくださったことは、養護学校時代のことや現在の生活、趣味、教育についてなど様々だった。そのなかで私が一番印象に残っているのは、「夏休みが寂しかった」という言葉である。

 

 

やっさんは、養護学校時代のお話のなかで、「夏休みは友達がおらず、寂しかった」とおっしゃった。私がいつも待ち遠しいと感じていた夏休みを、来てほしくないと思う人がいるという事実は、私にとってとても衝撃的であった・・・。

同時に、私の中で無意識に当たり前だと決めつけていたことを実感した。やっさんは小学校以前から、親が入学を決めた養護学校に通っていたため、週末や夏休みに遠い学校から家に帰ってきても、遊ぶ友達がおらず寂しい思いをしていたとおっしゃった。

 

 

障害を持っている方は様々な支援が受けられる支援学校に、健常者は普通学校に通うことが、それぞれにとって最善の道であると考えていた。しかし、やっさんのお話を聞いて、本当にそうなのであろうかと疑問を持つことができた。もっと広い視野で、より多角的な視点で考えることが必要であると感じた。知ることが、考えることにつながると思った。知らなければ、自分の中の「当たり前」を疑うことなく振りかざし、人を傷つけてしまう可能性も大いにあると感じた。決めつけていないつもりでも、当たり前にしてしまっていることもあると気づくことができた。

 

 

私は、「夏休みが寂しい」という感覚を知ることができてよかったと強く思った。

 

 

将来、教育に携わることを目標としている者として、様々な立場から物事を考えることはとても重要なことであると考える。先程述べたように、考えるためには知らなければならない。これからも多くの人と触れ合い、話し合い、知り合っていきたいと思う。

 

くう