ニューフェイスのSちゃんと
おれんじ村の出会いは、
小学校入学前から…
Sちゃんのお姉ちゃんの
『一緒に学校に行きたい。』から始まった。
Sちゃんは、小さい頃から
医療的なケアが必要でした。
そのため、地域の保育園ではなく、
お姉ちゃんとは別の療育施設に通ってた。
『小学校こそは、姉妹一緒に通いたい』との想いを
実現するため多くの人がかかわった。
当時、熊本市の地域の学校には
医療的ケアが必要な子どもは通ってなかった。
なので、
入学前から学校や教育委員会と
話し合いが何度ももたれ、
どうにか入学が認められた。
もちろん、入学にあわせて
学校には看護師が配置された。
が、しかし……、
医療的ケアは、
家族の対応が求められ、
学校へは家族の付き添いが強いられた。
入学後も、多くの人の粘り強いかかわりにより、
家族の付き添いはなくなり、
学校の看護師にて対応可能となった。
その後も、見学旅行、集団宿泊訓練、修学旅行と
子どもたちが楽しみな学校での一大イベントは、
常に課題だらけ、
その都度、家族の付き添いが求められた。
しかし、
毎回、何度も何度も話し合いが繰り返され
家族の付き添いなく、
同級生と一緒に楽しい時間を過ごした。
中学校では、
特別支援学級から通常学級に転籍。
いろいろと大変なことばかりだったけど、
みんなと過ごした日々があったからこそ、
高校受検にもチャレンジ✨
しかしながら、
普通高校の合格の壁は高く
中学浪人まだしてチャレンジを繰り返しものの………
3年連続の不合格。
介助なしには書くことが難しいSちゃん。
合格という目標は達成できなかったけど……、
高校受検の体制を変えた。
Sちゃんのことを知らない人が介助者となって
受検しないといけなかったけど、
いつも介助をする介助者と一緒に
受検することが認められた。
前置きがかなり長くなりましたが、
いよいよ本題。
Sちゃんが、おれんじ村での実習を終え、
全体ミーティングに参加。
おれんじ村では、障害のある人もない人も
みんなで話し合い運営を行っている。
月に2回開催される全体ミーティングが
おれんじ村の重要な意志決定の場。
そこで、
『ろうどうせんたーではたらくことは、
むかしからのゆめでした』と、
就職希望の意志表明。
ある村民の中から
『あなたは、何ができますか?』と
厳しい意見があがった。
周囲から『何がしたいか?じゃない』との声もあがるが、
意見を出した村民は、
『何ができますか?』です。と言いきった。
その後も、議論は続いた。
最終的には、
Sちゃんと一緒に働くことを
全体ミーティングで決めた。
僕たちは、
Sちゃんと新たなチャレンジを決意した。
医療的ケアが必要な人も、働きたい人が活躍できる。
もちろん、そこには
暮らしていける所得を保障する。
とても難しいけど……ね。
新たななかまが加わった
おれんじ村のさらなる飛躍に、ぜひご期待ください。