「自分の子どもが障害を持って生まれてきた。その子を最後まで育てる自信のないあなたは我が子を殺してしまった。我が子のためを思って、愛ある行動をした。」あなたはこれをどう感じ、何を考えるのだろうか。その理由ならば、人を殺したとしても罪は軽くしても良いのだろうか。
今から70年程前、それが許されていた時代があった。人はみな同じ。平等な社会を作ろう。そんなことが言われてきた世の中だが、本当にそれが実現できているのだろうか。映画「さようならCP」は、脳性麻痺の方を描いたものであるが、障がい者の方だけに焦点が当てられているわけではない。これは障がい者の方を見る、いわゆる健常者と言われる人々の表情や目をとらえたものであった。手足が自由に動かせなかったり、言語障害があったりする彼らを、人々は軽蔑する目や可哀想だという目で見ていたように感じた。そんな私は、これまで彼らをどんな目で見ていたのだろうか。「怖い」、「かわいそう」、そんな目で見てしまっていたかもしれない。正直、私は障がい者の方に対して、差別の心が全くない人生だったと胸を張って言うことはできない。心のどこかで「怖い」と感じてしまった自分がいた。差別はしてはいけない。そのことは、少なくとも小学校の道徳で学んでいるのだから、全員分かっているはずだ。正しく言えば「知っているだけ」かもしれないが。わかった気になっているだけかもしれない。そして私もその一人だった。
私は、人生で初めて脳性麻痺の方に直接お話を聞くことができた。言語障害がある方だと聞き、どのように接したらよいのか、上手くコミュニケーションがとれるのか心配だった。しかし、私が言葉を聞き取れない時は五十音表を指さしながら言葉を伝えて下さった。脳性麻痺でありながら、一人暮らしを17年間も続けている。たった一人で販売し、“営業マン”だと言われたこともある。アクション映画やアドベンチャー映画が好きで、テレビはバラエティー番組をよく見るそうだ。お酒を飲むことも好きで、週4はお酒を飲んでいるらしい。このように、話を聞いていくうちに、障がい者という目ではなく、一人の人間として、夢中になって話を聞き、質問している自分がいた。きっと、話すまでは彼を障がい者だという目で無意識に見てしまっていたのかもしれない。
彼自信、一番気になることは“人の目”だとおっしゃっていた。私たちは、無意識に差別の目で彼らを見てしまっているのかもしれない。しかし、私は運のいいことに直接話すことができ、差別の目を変えるきっかけに出会えた。100%ではないかもしれないが、確実にこれまでの目とは違う目で彼らを見ることが出来ている気がする。これまで私が彼らを怖いと感じていたのは間違いであった。実際に話すことでそれに気づくことができた。ただの「食わず嫌い」だったのだ。これからは、差別の目を捨て、同じ人間同士、共に生きる社会にしていきたいと思う。そのためには、彼らを見かけたとき、避けたり怖がったりするのではなく、声をかけ、手を差し伸べられる人間になりたいと強く感じた。
Haru