無意識の差別

「無意識の差別」。これが私が介護等体験の為の、社会福祉施設の訪問先として、くまもと障害者労働センターおれんじ村で1週間施設体験させて頂いた私の1番の衝撃だったことです。

 くまもと障害者労働センターおれんじ村は、障害者も含めた誰もが地域で働き地域で生きる活動を理念とし、活動されている施設で、私は、1週間を通して障がい者と健常者が協力し合って行っている「手作り弁当の作成からお届け」、「クッキーなどの手作りお菓子の製造」、「自社製品や仕入れた無添加有機栽培の商品を熊本の市内から、遠方の県内の施設まで訪問販売」などを経験させて頂き、今このブログを書いている次第です。

 ここまででも、障がい者と健常者が協力し合って私達が普段食べている弁当やお菓子などを作っており、販売している活動をしている事を知って、記憶に残している方は少ないかと思われます。ここからは、私が興味を持ったことを上げていき、本題の「無意識の差別」について、伝えていこうと思います。あなたは、障がい者がこのような仕事をしている時に、親から言われたり、お金の為に仕方なく働いていると思ったり、小学校や中学校での特別支援教室や障がい者の集合施設に行ってもらうことは、障がい者の為を思ってなされていることではないかと思ってはいませんか?私は、おれんじ村を早期の頃から支えており、障がいを持った方と会話する機会があり、本当は、みんなと同じように普通のクラスに行って学び、そして、一般職について自分で生きていきたいと思っている事を知り、自分の認識が障がいをもった方と違っていたのだと気づくことが出来ました。

もし、障がい者と共に活動する機会に遭遇したときに、「手伝ってあげなければ」と思ったり、年齢差や経験値差を後回しにして、健常者の場合と異なる会話をしてしまいそうではありませんか?私も、上記の事をしてしまい、おれんじ村の代表の方から指導をいただきました。今までの書いたことに少しでもひっかかった方。障がいの事を思っていると自己満足に陥ってしまっていませんか?それこそ、無意識に障がいを健常者と比べて、能力が劣っているために、下とみてしまっているのではないでしょうか。

まさに「無意識の差別」です。自分は健常者の方と障がい者の方を区別せずに接する事が出来る方は少ないでしょう。差別はいけないと言いながら、区別することで、社会を円滑に回していこうとしているために起こっていることで、社会そのものが障がいを差別をしてしまっているのです。つい前まで、パラリンピックもありました。ある程度の盛り上がりにはなったものの、オリンピックと比べテレビでの放映量も少なく、社会全体が変わることがなかったことが、おれんじ村で対話された方も残念がられていました。

くまもと障害者労働センターは、このような区別を少しでも小さくするために、全員が協力し合って、日々活動されている所です。このブログをきっかけに少しでも、障がい者の方と離れてしまっている理解、そして無意識にやってしまっている差別を少しでも意識してもらえればと幸いです。そして、機会があればおれんじ村に訪れては見ませんか?生き生きとしたおれんじ村職員に会えると思います。お菓子もお弁当もとても美味しいもので、障がいを持った方と接するいい機会になると思います。

 

 

1週間、優しく受け入れ、様々な経験をさせて頂いたくまもと障害者労働センターおれんじ村の方々に、感謝の気持ちを送ります。本当にありがとうございました。

 

さっくん