十人十色

「さようならCPを視聴して」

もし自分が障害者だったら、差別を受けてまで表に出て運動するという勇気はないと思う。しかし横田さんたちは社会を変えるために運動する姿を見て、強いと感じた。

カンパをする理由が障害者のためではなく、自分たちのためにしかしているように見えなかった。この映像から差別がひどいことが分かるが、今は差別がないかというと全くそうではなくて、ずっとなくならず差別はあり続ける。しかし昔は障害者に人権というものが今よりもなかったのだと思う。青い芝の会の運動などによって現在の障害者の制度ができ障害者が少しでも社会で暮らしやすくなったのならば、横田さんたちの訴えはとても意味があって、更なる運動でもっと制度が見直されて障害者と健常者の間の隔たりが少しでも減ると良いと思う。

 

「やっさんの話を聞いて」

脳性麻痺のやっさんに話を伺った。18年ほど一人暮らしをしているという。一人暮らしをする中で困るのは夜にヘルパーさんが帰ったあと不安になるということだ。彼は外では電動車いす、家の中では四つん這いで生活している。そのため一人でできることにはかなり制限がある。健常者が当たり前にできている冷蔵庫を開けることやトイレに行くことが障害者にとっては困難なことで、お金を払ってやってもらわなければならないというのがおかしいことなのではないかと感じた。人からの目がとても嫌であるとおっしゃっていたが、障害に対して無知であったら障害者を異質だと思うことはおかしいことではない。私もそうなると思う。ヨーロッパでは生活保護を受けることが珍しくないし、障害者や貧困の人にやさしい社会であるが、日本はそうではない。障害者と健常者の間に能力などの差を感じることが当たり前になっている社会がおかしいと思った。

やっさんが話す話によく共通するのが人とのつながりである。いろんな人との出会いを望んでおり、コロナの時が特に人とのかかわりがなくて孤独で寂しかったという。熊本地震のときに近所の人が助けてくれたのだと嬉しそうに話していた。地震前は全くつながりがなかったが助けてくれたというのは、自分のことをちゃんと見てくれていたということであり、とてもうれしいことだと感じた。

やっさんはおれんじ村で友達ができ、おれんじ村の自由なところが好きだとおっしゃっていた。仲間がいてその人と一緒にいろんなことをするのは一番楽しいことだと思う。もし自分が障害を持ったら孤独は耐えられないと思う。私が相性の合う友達と会話したり遊んだりすることで安心できるように、同じ仲間が近くにいて会話して共感しあうことは人を安心させると思う。共通の仲間とのつながりの大切さを感じた。

 

あずきときな粉