人間の自由

 

                           熊本学園大学からの実習生

                            ともちんの感想

 

 まず、Yさんの話を聞いて感じた事は、人間の自由を確保し尊重することは大切なことであるということだ。

Yさんは、小学校、中学校、高校を支援学校で過ごした。支援学校で生活していく中で、10歳の時に“障害のある人を地元に帰そう”という運動があったそうだ。その際、Yさんは地元に帰らず支援学校で生活する道を選んだ。理由は、地元に帰ると親が面倒を常に見なくてはならなかったからである。Yさんは家が農家であり、母親がYさんの面倒を見ることになると迷惑をかけてしまうということからこの道を選んだ。しかし、地元に帰った同級生達は何人も支援学校に帰って来たそうだ。その理由は、地域の学校へ通うと先生から“支援学校に通うことを進められたり、学校で重度の介助が必要な子どもは、親が学校に付いていき親が学校で面倒を見るからだそうだ。私はこの話を聞いて、障がい者をまるで邪魔者扱いしているように感じ、怒りを覚えた。昨今でも、通常学級に子どもを通わせたいと親が要求しても学校がなかなか動かないという現実がある。なぜ健常者と障がい者が共に生活していくことができないのか、障がい者に決める権利であったり自由があたえられないのか疑問に感じた。

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真剣に聞いている学生さん

 Yさんは支援学校の高等部の時に、進学を決める卒業適性検査を受けた。これは寝たきりの人以外全員強制で受けなければならず、この結果で人生が決まるといっても過言ではない検査である。Yさんの結果は、「あなたは施設で暮らした方が良い」というものであった。Yさんはこれに怒り反論した。怒るのも当然であると思う。見ず知らずの人間から、今日初対面の人間から人生を急に決められ、自由どころか人権すら尊重されていない。とても恐ろしい障がい者差別であると感じた。Yさんの反論に、担当の先生は動いてくれ、作業所を見学したり、一人暮らしをしている先輩の家を見学したりすることで、くまもと障害者労働センターで働くことが決まった。作業所の横に施設があったため、周囲の人達は、Yさんを施設に入れるつもりであったが、Yさんは自由が奪われるため施設に入らず1人暮らしをすると周りの反対を押し切り生活を始めた。このYさんの1人暮らしをするという行動力から、今まで気がつかなかった生活での困難を見つけ出すことができ、今日の障がい者の暮らしをより良くする制度等が作られるきっかけとなっていると思う。先に述べた様に、健常者と障がい者が共存して生活できていないという現状があるが、Yさんは、地域とのつながりという点でとても良いつながりがあるという。初めて1人暮らしを始めた際は、ヘルパーサービスが充実しておらず、アパートの住民の人に有料でご飯を作ってもらっていたという。また、最近は、向かいの人に洗たくを入れてもらったり、地震の際によく声をかけてもらったりした。地域とのつながりがあることは、生活をしていく中で私たちも強みになり、1人じゃないという心の強みでもある。孤独を感じるとうつになってしまったり心の変化にとても影響するため、重要なことである。また、地域の方々に正しい障がい者の理解をしてもらうことも、地域とつながるために必要なことであると感じる。

Yさんの話を聞いて、学園大学の生活を見直してみると、障がいのある人達は教室や校内にたくさんいる。それは障がい者サポートがあるからである。県立大の方に聞いてみると、校内に障がいをもっている方を見ないと言っていた。このことから、小さい頃から支援学校に入るとおのずから進む道が決まってしまう現状があるのではないかと感じた。障がいがあるから支援学校という決まりはなくなってほしいと思う。好きな学級を選んだり、好きな学校を選ぶ権利が障がい者にあるのは当たり前であると思う。障がい者が声を上げても、社会や学校が動かなくては何も意味がない。制度や法律を決めるのも健常者であり、正直健常者に障がい者の不便さや困難が全て理解できるわけではない。社会がもっと障がい者の声に耳を傾け、自由がある生活をすることができる社会を目指してほしい。また、障がい者と健常者が共存して暮らせる社会をみながあたりまえと思い、差別や差別的扱いがない社会が早くきてほしい。

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リフター。ヘルパーさんのことを思い、Yさんが自費で購入された。