「自分の持っていた偏見への内省」 パート2

実習を通して特に強く感じたことは2つあります。

 1つ目は障がいを持っていないのか持っているのかという事で人を分類することはできないという事です。1日目の最後に私はメンバーの方の送迎について行く機会を頂きました。送りの車の中でメンバーの方の興味があることについて話して貰いました。始めのうちはそのときの話している様子が少し変わっているように(すみません、この表現が適切ではない気がします)見えましたが、時間を掛けていくうちにその話し方が人間の意識の移ろいに自然に身を任せているのではないかと感じるようになりました。表面上は違っているようにみえても実際に深いところでは同じであると私はこの時に初めて気づきました。

 2つ目は自分の想像力不足です。「社会で生活する以上は他の人の気持ちを理解しなければならない」、「相手の身になって考えることが重要である」。そのような教育を4、5歳のときから繰り返し受けていたので、自分の想像力を誰にでも通用するものであると今まで考えていました。しかし、この考えは全くの誤りであると今回の実習を通して学びました。5日目の午後に電動の車椅子を貸していただき、近くにあるコンビニまで買い物に行きました。実際に電動の車椅子に乗ってみるまでは、私は「移動が遅くなる」や「路面の状態に大きく左右される」などの問題点を考えていました。実際に体験することで「モーターの駆動音によって後ろの音を聞きにくい」や、「駐車場の車で近づいてくる車に気づきにくい」などより沢山の問題に気づきました。今思えばこの「相手の身になって考える」というものはどこまで行っても(相手からしたら)「他人の私」の価値観でしかないという事をより重く受け止めるべきでした。障がいを持っている方と学校からなにから隔てられて育てられた私の世界の見え方の差を、この実習を通してより意識することが出来るようになったのではないかと強く感じます。

 

 今回の実習を通して教員になるという将来の夢に対してより強い思いをもつようになりました。今思うと小中学校での義務教育を通して行われていた道徳の活動では障がいを持っている方を「自分たちと違う」や「別の人々」として扱っていたように思えます。実習を通してその考えがいかに間違っているかを学べました。将来私はかつての自分と同じように障がいを持っている方に対して何か偏見を持っている学生に対して意味のある働きかけを行えるような教員になりたいです。

 

 5日間も貴重な経験をさせていただきありがとうございました

                                  (fuluya)