ずっと普通学級でよかったんじゃないかな

はい、こんにちは。たけのこです。
前回に引き続き、
共同連研修・弁論大会で発表した想いをお届けしますね。

今日は販売部のM2号さん。


『僕の名前はM.Nです。22歳です。
好きな事は音楽やDVDの鑑賞とスケルトンです。ちなみに好きな歌手はAAAとflumpoolでその中の好きな歌はAAAの「LOVE」とflumpoolの「花になれ」です。切り絵も好きで鯉のぼりやペンギンやワンピースなどをしました。

僕は、小、中学校まで地域の学校だったけど、中3の時の担任の先生に勧められてA支援学校に行きました。それで高1の2月ぐらいから不登校気味で高3になりました。

教頭先生から「B学園に入所してみたらどうですか?」みたいな事を言われて勧められたので、入所をしました。B学園では、友達がたくさん出来て、とても楽しかったです。B学園に入り、不登校がウソのように毎日学校に行きました。

その後、B学園を退所して、C園に入って、フルーツネットの作業をしていました。しかし、C園の職員が怖くなり、嫌になったから半年ぐらいで辞めました。そして、ちょっとしてから事業所の見学に3か所行き、決めたのがDの里です。

Dの里には生活訓練で入りました。Dの里での作業は竹炭を作っていました。竹炭は紙輪で木の箸を束ねて、それを燃やします。燃やした箸を足で潰して2種類の液で混ぜた後にその箸を外に置き、乾かして袋詰めで出来上がりです。Dの里の時にくまもと障害者労働センターに二回実習で行きました。それでDの里に2年間しかいられなかったので、実習で行ったくまもと障害者労働センターで働くことに決めました。

くまもと障害者労働センターで1年半ぐらい販売部で働いています。販売部では毎月、製造部とのミーティングを行い、1ヵ月のあたりの売り上げ目標を決めています。

僕がくまもと障害者労働センターに入ってしばらくは、販売物の準備をしている時や休憩している時にモヤモヤしたり、恐くなったりするのが週に2,3回ありました。そして、記憶がなくなるのが、半日だったり、2,3時間でした。

でも、半年ぐらい経って、モヤモヤや恐くなって記憶がなくなるのは減ってきて、週に1回ぐらいになりました。最初は担当の人が必要でした。その理由は小、中学校とA支援学校だったり、B学園とC園とDの里まで担当があったからです。それで自分でも分からないけど、すごく必要でモヤモヤした時とかが担当がいたりすると気持ちがすごく落ち着きました。

小学校から中学2年までは普通学級で中3からは特別支援学級でした。それで特別支援学級に入ってからは友達が減って、みんなと違うと思われているんじゃないのかなと思っていたので、特別支援学級に行くのが半分嫌でした。でも、特別支援学級に入ってもみんなは普通に接してくれました。だけど、くまもと障害者労働センターに入ってからずっと普通学級でもよかったんじゃないかなと思うようになりました。

Dの里から一緒だった仲間の一人が耳が聞こえなくて手話を使っています。その仲間の一人が何を伝えたいのか?という事が気になったりして、いろんな人にちゃんと伝えて分かって貰いたいな思いました。それで仲間の一人がくまもと障害者労働センターの仲間やDの里の仲間などと楽しくして欲しいです。耳の聞こえない人が手話をいっぱい覚えて、いろんな人に手話を覚えて貰い、そのいろんな人達も手話をして貰いたいです。

今の夢は、パン屋になることです。理由はいろんな人がパンを食べて、ちょっとでも幸せになって貰えたらなと思いました。そのためにいろんなパン屋さんで修業をし、いつか自分の店を作り、自分の店のパンを4,5種類作りたいです。それで最初は熊本一になり、次は九州一、全国一になるぐらい有名な店にしたいです。

共同連とはいろんな人に会い、いろんな人を知り、いろんな人が分かち合って共に働く事だと思います。だから、わっぱやがんばカンパニーなどに行って、まだまだ勉強をしたいからいろんな研修や他の事業所の実習に行きたいと思います。』



グループワークしてる販売部M2号さん。

次回は、研修の模様をお届けします。
お楽しみに〜。

たけのこ&ひさじまん