おれんじ村の原点 その2 〜トイレットペーパーを売る訳『やっと給料が1万円に』〜

 最初の頃は、グリーコープの人に手伝ってもらって、週に2,3回田中商店のトラックで集めてもらった牛乳パック・古紙をグリーンコープの各配送センターや小、中学校に訪問して回収し、トラックが来ない日は開いていない牛乳パックを一つ一つ手で開く作業と、汚れているパックを水で洗い落とす作業をしていました。
冬の寒い時期は水が冷たく手がかじかんでなかなか作業がすすまず、指もひびわれて痛みをこらえながらの作業でした。
夏は牛乳パックに汚れが付いているので匂いがすごくて鼻がおかしくなりそうでした。
回収して仕分けした牛乳パックや古紙は、その後製紙会社にリサイクルの資源として買ってもらい、リサイクルでできたトイレットペーパーを商品として仕入れて販売するようになりました。


 ▲初代代表の池田さん


 その頃、センターに車が1台あったが運転手さんがいませんでした。
当時は知り合いに一緒に働いてくれる人を見つけてほしいとお願いをしてもなかなか見つかりませんでした。
その後、元産交バスの運転手さんが労働センターで働いてくれることになりに、運転手さんが見つかりました。
週に2,3回田中商店からトラックが来るのが来なくなりました。
その運転手さんと車でグリーンコープの各センターや熊本生協、小、中学校、高校、郵便局、地域コミュティセンター等を周って牛乳パック・古紙を回収するようになりました。


 回収を初めて当初は汚物が入っていることが多かったです。
おむつ、レジ袋、紙袋などが一緒に混在していて、仕分ける作業も大変でした。
本当に仕事は大変でした。仕事が大変な割には、燃料費に莫大なお金をとられ、売り上げは年間でわずかしかありませんでした。
それでも、牛乳パックの回収の仕事を開始して、初めてセンターで働く障害当事者に一律1万円ですが、給料が支払われるようになりました。