ブログ読者へ!!WITH最新号記事、早出し。                   ~だいたい35周年の“だいたい”のナゾ??~

 私の先輩である初代代表の池田さんが、松橋養護学校を卒業後(くまもと障害者労働センターが始まる約3年前)に、以前保田窪にあったホープ印刷内で水俣の無農薬の甘夏を仕入れ販売されていました。

甘夏を販売していたこともあり、「おれんじ村」と名付けられ活動されていました。

今からちょうど35年前の1985年、私が松橋養護学校を卒業する時、熊本には障害者が働く場がまったく無い時代でした。

それなら自分たちで仕事を作ろうということになり、池田さんたちと一緒に水俣大牟田、大阪の障害者が働く共同作業所を見学に行きました。

せっかく仕事をするなら、社会の役に立つ仕事をしようということを決め、粉せっけんなどの袋詰めの作業や無農薬のお茶の注文販売を開始しました。

 

 

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若い時の倉田さん

 

その当時は、全国的に障害者が地域で働く場を作る取り組みが広がっていた時期でしたので、熊本にも障害者が働く場を作ろうとなり、『くまもと障害者労働センターを作る会』が発足しました。

その立ち上げのイベントの1つとして長谷川清さん(視覚障害者)のコンサートを行いました。その時は学校教員の労働組合、(今でいう県人教)のバックアップがあり、無事成功に終えることができ、正式に『くまもと障害者労働センター』(通称:おれんじ村)を立ち上げることになりました。 

 

 

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旧おれんじ村本社前(保田窪)

 

 くまもと障害者労働センターは、正式には1985年にできたのですが、実際はその約3年前に初代代表の池田さんが一人でおれんじ村を始められていたという前史があります。

そのため、私たちはお祝いをするときは、“だいたい”とすることで、池田さんが始めた前史も含めています。

これからも私たちは、池田さんの思いを引き継ぎ進んでいきます。 

                            

                            二代目代表 倉田 哲也