おれんじ村の原点 〜トイレットペーパーを売る訳『パック回収が始まるまで』〜

1985年の4月にホープ印刷に採用を断られた3人の当事者がホープ印刷の一角を借りて、どうしても仕事して給料を稼ぎたいという思いから、くまもと「障害者」労働センター(通称おれんじ村)ができました。


▲保田窪時代の写真

当初は、思いと裏腹に仕事が無い状況でした。
ホープ印刷の提案で水俣の無農薬の甘夏を仕入れて外で販売をしようとなりました。
しかし、甘夏をどこで売ろうかということになり、ホープ印刷の人に相談をしました。
帰ってきた答えは、ホープ印刷の営業と一緒に外に出て、途中で車から降りて、自分たちで販売してはどうかと言われ、早速、営業の途中で降ろしてもらい販売を始めました。
それでもなかなか売り上げが伸びず、その後ホープ印刷が保田窪から龍田に移転してしまいました。
残された労働センターには、その後もセンターの存在を知り、「施設を出て地域で暮らしたい。」という思いを持った重度障害者が何人も集まってきました。

今とは違ってヘルパーの制度もあんまりなかったので、センターでは仕事だけでなく、入浴介助、食事介助など、ボランティアさんや障害当事者がお互いに助け合いながら行っていました。
そのため、センターで働く障害者の賃金はほんのわずかしかありませんでした。

それでも、「働いて収入を得たい。」「働いて得た収入で地域で暮らしたい。」との思いがグリーンコープさん、田中商店さんとの出会いへとつながりました。

グリーンコープさん、田中商店さんはエコ活動に積極的に取り組まれており、エコ活動と障害者の就労を一緒にできないかということで、牛乳パックの回収という仕事へとつながっていきました。