仙台共同連研修報告です。

先週末、共同連の若手研修が宮城であり、
労働センターからは、
販売部の2人が参加しました。
今回はの報告にします。

販売部、Oです。
「2013年4月20〜21日、
共同連の研修で、宮城にいきました。
一日目、南三陸を視察。
テレビ、で取り上げられた被災地を見る。
がれきがいまだに残り、
復興は未だ進まない状況を見て、
自分に何ができるのか?
現地の現実を見る事に尽きる。

2日目は逃げ遅れた障害者の映画を見て、
また、原発や被災前と被災後の映像をみて、
憤りを覚えました…。
今回労働センターから、
共同連の視察報告に行かせていただき、
大変感謝しています
ありがとうございました。」


販売部、Nです。
「大きな宝物は、
現地で出会った人の生の声を聞けた事が、
明日への仕事にいかせるように!
共同連全国研修会in仙台に参加

東日本大震災以降、初めての宮城。
被災地をこの目で見たいとの想いで参加しました。
今回は、南三陸の被災地へ。
被災地を訪れ、
多くのことを感じ、
伝えないといけないことがたくさんありますが、
今回は障害者の現状について感じたことを書きます。

三陸は、大津波により今まであったはずの街がなくなり、
そこにはテレビで有名となった、
津波で壁がなくなり
鉄筋の骨組みだけが残る防災センター

(町の職員が最後まで住民に避難の呼びかけを行い、
亡くなった場所)と、
数件の同様に骨組みだけとなった建物が残っているだけで、
地域住民の人影はなくなり、
うみねこの声と静かな波の音が静かに響き渡っていた。

しかし、震災から2年が経ち、
津波が届かなかった高台の場所に、
地域住民の力で新しい街がつくられていた。

そこで目の当たりにしたものは、
昔と変わらない障害者への差別そのものだった。
高台には、新たな家や店が建てられている。
しかし、障害者の作業所や障害児の放課後預かり所は、
新たな街の外れ、

人がほとんど通らないような山の中に建てられ、
また建設予定となっていた。

今できている新しい街でも、
障害者は人里離れた場所に集められ、
社会が、そして地域が障害者を拒み続けているという現実。
社会の厚い壁を感じました。」


センターの台所事情と人材が、
以前と比べると格段によくなり、
こうした研修に個人の負担なく参加できるようになりました。

毎日の業務に追われるだけでなく、
自分たちの立ち位置を確認するためにも、
できるだけ外へも目を向けたいと思います。。


広島の菓子博での障害者差別しかり、
Nくんの報告にある、街造りにみえる障害者差別しかり、
どちらも、「そうした方が当事者のためになる」という、
健常者が障害者を管理する姿勢がみえます。
そして「そんなつもりじゃなかった」という、
無自覚。
そうじゃないだろう!!と、
日々の活動で体現していこう、と思う
くまもと障害者労働センターです。


O&N&ひさじまん&たけのこ。